南恩加島競馬場(大阪府)
1928(昭3)年

1927年(昭2)年:地方競馬規則の施行で大阪府に一ヶ所の競馬場の設置が認められ

大阪馬匹畜産組合は中河内郡の花園競馬場跡地で開催を出願
この跡地は
徳島県の
板野郡畜産組合主催により花園競馬が一度(3日間)開催されたが
他県の畜産組合が競馬を開催することに難色を示した
農林省が
認可を取り消し廃場となった
地である

同時に、
泉南郡畜産組合は後の春木競馬場である泉南郡南掃守村(現:岸和田市)での開催を出願する


結局、
大阪馬匹畜産組合が開催許可を受け
花園跡地での再開を進めたが
同組合の
所在区域外であったことを理由に却下され
かつての淀川水系と大和川水系により運ばれた土砂により出来た
大阪湾の三角州の1つであり
浮き島としても有名で今もなお渡し舟が運行している大正区南恩加島の地を選び

1928(昭3)年1月:
大阪馬匹畜産組合にて南恩加島競馬場が開設され
大阪府内の組合が主催による近代競馬がスタートした



一説には
花園競馬場跡地での開催が認められなかった理由として
橿原神宮を参拝するために奈良線に乗車した秩父宮殿下が、かつての競馬場一帯を通りかかった際
この空き地にラグビー専用の競技場を作ることを進言した事に起因するとも言われている

しかし、
大阪馬匹畜産組合が選んだ大正区南恩加島の地は
三角州のために地盤が脆弱
この
一回の開催をもって閉鎖に追い込まれた


翌年、
第四師団大阪城東練兵場(現:大阪市城東区)に仮設された馬場で春秋の6日間開催し
常設の馬場を求め
1930(昭5)年:大阪府中河内郡八尾町に延長1,000m幅員30mの
八尾競馬場を開設し施設を移した



大阪府大阪市大正区南恩加島